2012年03月08日

キーワードクラシック「アンティークな音楽」その2

プロコフィエフ 交響曲第1番ニ長調『古典交響曲』より第3楽章「ガヴォット」

 いつの間にか3月3日のひな祭りは去り、ピアノの上に並んだ3対のひな人形は帰宅すると片づけられていました。3月3日以前は帰宅すると子供たちがひな祭りの歌を声をそろえて歌っていたものです。

ひな祭り歌声めぐる夢の中

 母の手作りのひな人形は色彩が地味で落ち着いています。あでやかさよりも、ちょっと鄙びた感じが僕は気に入っていて、昨年のブログでは松尾芭蕉の句に、プロコフィエフピアノ協奏曲第3番が似合うと書きましたが、今回もプロコフィエフの音楽がひな祭りにふさわしいと思いました。

 古典交響曲のガヴォットです。ガヴォットはフランスの古典舞曲で4分の4拍子をとり、とても穏やかなで落ち着いた音楽です。プロコフィエフは「もしもハイドンが今でも生きていたら書いたであろう作品」としてこの古典交響曲を作曲しました。現代風のオーケストラが奏する擬古典的なその音楽は不思議な魅力にあふれています。プロコフィエフはこのガヴォットが大変気に入っていたようで、後の傑作バレエ『ロミオとジュリエット』の「舞踏会の客人たちの退場」の場面にも転用しています。

ひな祭り時は過ぎ去り懐かしむ


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2011年03月03日

キーワードクラシック「アンティークな音楽」その1

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番ハ長調

草の戸も住み替わる代ぞひなの家松尾芭蕉

 今日は3月3日、雛祭りの日です。我が家には3人の女の子がいますが、祖母が各々に作って与えてくれた木目込み雛人形が飾ってあります。リビングが何だか賑やかな雰囲気になっているのを感じました。

 さて、雛祭りというと、僕は上記の芭蕉の句とプロコフィエフピアノ協奏曲第3番を想像します。まず、芭蕉の句について。この句は松尾芭蕉が奥の細道の旅に出発する直前に詠んだもので、長年空けることの多かった自分の家を、子供のいる家族に売り払った時の想いが綴られています。「3月になると雛人形でも飾って賑やかになるだろう」この句の最後にある「ひな」には、「」という意味と共に、芭蕉がずっと空けていて「鄙びてしまった」家という意味があるように思います。つまり、「ひな」には未来と過去の両方を喚起させる特別な思いが込められているのです。

 一方プロコフィエフの曲について。第1楽章冒頭序奏のクラリネットの旋律は、どこか鄙びていて、東洋的な響きを持っています。僕はここの部分を聴くと、鄙びた庵と鄙びた雛人形と春の青い空と暖かい午後の景色が浮かんでくるのです。やがて、ピアノがスピードを上げてモダンな感じのする第1主題へと続くのですが、ノリのいいモダンな響きとどこかほっとさせてくれる鄙びた親しみやすい響きが混在するのがこの曲の大きな魅力です。プロコフィエフが、この曲を作曲したのはソ連を亡命してアメリカに落ち着いてからで、彼はアメリカへ渡る前2か月ほど日本に滞在したのでした。この曲に時たま表れる東洋的な響きは日本滞在と関係があるのではないでしょうか。

 両者の作品の背景などを考えていくと、そこには共通のテーマがあるように思います。

旅立ち
過去と未来
古いものと新しいもの
大人と子供


このように思うのは僕だけでしょうか。







posted by やっちゃばの士 at 22:54| Comment(0) | TrackBack(0) | アンティーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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