2011年10月30日

イメージクラシック「みずうみ」その2

ワーグナー 歌劇『ローエングリン』第1幕前奏曲

 10月末の山の湖畔の朝。まだ夜が明けたばかりの湖面は冷たい霧に覆われていて、霧が途切れたところからは黄色やオレンジの山の紅葉が朝日を浴びて鮮やかに映えています。霧の中、僕はひたすら理想の僕を探し求めて霧が晴れるのを待つのでした。学生のころも今も何一つ変わっていないような気がする一方で、今度こそは何か大きな変化が起こるのかもしれないという期待を抱くのでした。

 ワーグナー『ローエングリン』の第1幕前奏曲。弦楽器の弱奏による神秘的な聖杯の主題で始まり、この主題が何度も重層的に繰り返され次第に音楽が広がっていくその神秘的な音楽は、一度聴いたら忘れることのできない感銘を与えてくれます。この聖杯の主題の繰り返しは、救い主の登場しそうな気配を伝えてくれ、オーケストラが盛り上がったところで、また静けさに包まれて行きます。深い感銘とともに、救い主と完全に一つになることのできない人間の性のようなものをかすかに僕は感じます。

 美しい景色も、美しい音楽も、美しい人も、すべて求めても決してその対象と一つになることはできないのが現実です。だから人は真善美の価値を求め続け、その価値追求欲は限りがないのです。求めても求めても到達しないというのは不安定な状態です。音楽や物語は、同化作用によって、それを鑑賞する人の心を安定させます。しかし長くは続かないのです。持続させるためには「感謝」という能動的な心が必要なのです。救い主は遠くではなくすぐ近くにいる・・・。

posted by やっちゃばの士 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | みずうみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月04日

イメージクラシック「みずうみ」その1

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調より第3楽章アダージョ

 秋の湖ほど神秘的なものはありません。湖畔は紅葉に彩られ、山々の錦秋を反映した湖面は吸い込まれるような鮮やかな表情をたたえています。特に朝の湖面は独特です。朝日を浴びて蒸発した湖水がひんやりとした湖面の空気に冷やされて白い湯気になっていく様子はとても神秘的です。

 ブルックナーの交響曲第8番の第3楽章アダージョを聴くとき、僕はいつも鮮やかな錦秋と青緑色に輝く湖面を思い浮かべます。ブルックナーの交響曲は第5番のところでも述べましたが、第7番以降田園情緒を離れて神秘性を持つようになります。特にアダージョ楽章はこの傾向が顕著で、聴く方もある程度心の構えを要求されます。この後期3大交響曲のアダージョの中にも段階があって、僕のイメージでは

第7番  晩夏のまばゆい夕べの光
第8番  晩秋の神秘をたたえた錦秋と湖
第9番  真冬の天上の彼岸

と進んでいきます。このように見ていくと、ブルックナーの交響曲は絵巻物のように連続性があることがわかります。天に向かって伸びる植物のように、ブルックナーの交響曲も天に向かって成長していったのでした。ちなみに、交響曲の献呈先も

第7番 バイエルン国王ルートヴィッヒ2世
第8番 オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
第9番 神

というふうに次第に高い次元に上がっていきます。第9番は上記のイメージのように、色彩感がなく自然から離れたものになってしまっていますが、第8番のアダージョは色彩感が豊かで、まるで作曲者の想いが美しい錦秋の絵巻物のように変幻自在に広がっていくようです。


posted by やっちゃばの士 at 00:01| Comment(0) | TrackBack(0) | みずうみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。