2011年10月28日

イメージクラシック「秋のソナタ」その4

ブラームス 弦楽四重奏曲第3番変ロ長調
 「秋のソナタ」といえばブラームス。「ブラームスの秋のソナタ」といえば、その筆頭に挙がるのは弦楽四重奏曲第3番変ロ長調です。なんといっても第1楽章の「狩り」を思わせる音楽は、

秋晴れの午後の散歩

を促します。モーツァルト弦楽四重奏曲変ロ長調『狩り』が秋晴れの午前を連想させるとするならば、ブラームスの「狩り」は秋晴れの午後を連想させてくれるのがいかにもブラームスらしいところです。

 ブラームスの弦楽四重奏曲は、彼の弦楽六重奏曲や弦楽五重奏曲と比べて地味であるという評価が一般的にあります。地味というのは、目立たないという意味だと僕は解釈していますが、地味という言葉が意味するマイナス的なイメージが残念ながら彼の弦楽四重奏曲のすばらしさを曇らせているように思います。地味にさせている原因としては

@弦楽四重奏曲というジャンルは大きく、多くの名曲がひしめき合っているが、弦楽五重奏曲、弦楽六重奏曲のジャンルは小さいため。
Aブラームスの弦楽四重奏曲3曲はセットにされることが多く、最初に来る第1番の晦渋さが全体の印象に大きな影響を与えている。
Bブラームスが第1番の弦楽四重奏曲を書くまでに、長い歳月を費やし20曲以上の習作を書いては破棄するなど試行錯誤していること。


等があります。第3番は堅苦しさがなく、最初からリラックスして書いているような感じを与えてくれますが、どの楽章も創意工夫に満ちています。またどの楽章も秋の情緒に満ちているのが特徴的で、僕が「秋のソナタ」と評する所以がここにあります。第1楽章の冒頭の軽快な主題を聴くと、ずんぐりと太ったブラームスが、作曲を終えた秋の午後、葉巻を咥えて散歩に出かけていく様子が浮かんでくるようです。

image.jpg


posted by やっちゃばの士 at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 秋のソナタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月20日

イメージクラシック「秋のソナタ」その3

ブラームス 弦楽五重奏曲第2番ト長調

傷ついた鳶力いっぱい羽ばたけ晩秋の青空高く

 11月も後半に入り、晩秋の寂しさが感じられる季節になりました。晩秋になると無性にブラームスの後期の室内楽作品を聴きたくなります。2つの弦楽五重奏曲はそのような作品で、特に壮年期の最後に作曲された弦楽五重奏曲第2番は「晩秋のソナタ」にふさわしい魅力を持った作品です。
 
 ブラームスの弦楽五重奏曲の作品番号は111で作曲者57歳の時の作品です。この作品の後ブラームスは64歳の生涯を閉じるまでの間、クラリネットを含む室内楽曲とピアノの小品、4つの最後の歌などを作曲しています。これらの作品には晩年のブラームスの心情がつづられていているので、この弦楽五重奏曲はちょうどブラームスの作風が壮年から晩年に移り変わる時の作品であり、季節に例えるとちょうど秋から冬に移り変わる時つまり晩秋の作品であるということができると思います。

 作品は4楽章からなり、第1楽章だけが情熱的で力強さを感じるものの、残りの楽章は寂しさに満ちています。まるで第1楽章ではがんばって力を振り絞って作曲したけれど、残りの楽章では力尽きて寂しさとわびしさの本音がストレートに出てしまったかのような印象を受けます。実際にブラームスはこの作品を作曲する際にインスピレーションの枯渇を感じたようで、この作品を最後にして「もう大作は作曲しない」という決意をします。

 持てる力を注ぎ込んで作曲した作品だけに、第1楽章は充実しています。特に冒頭の光のさざ波のような弦のトレモロの中を、チェロが天に駆け上るように上昇していく第1主題は印象的です。創造の泉を湧きあがらせようとする作曲者の心そのものであり、まるで年老いた鳶が力を振り絞って羽ばたいて青空に向かって上昇していくようです。この第1主題は再現部ではヴァイオリンで歌うように登場しますが、ここの部分は上空に到達した鳶が優雅に旋回しているような気持ちよさと感動を与えてくれます。そうブラームスの創造の泉は枯れていなかったのです。


タグ:ブラームス
posted by やっちゃばの士 at 18:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 秋のソナタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月17日

イメージクラシック「秋のソナタ」その2

モーツァルト 弦楽四重奏曲第17番変ロ長調『狩』(ハイドンセット第4番)

 膨大なモーツァルトの傑作の中で、最も「秋のソナタ」にふさわしい曲として頭に浮かぶのが弦楽四重奏曲第17番変ロ長調です。この曲は第1楽章の冒頭の主題が狩りをイメージさせるので『狩』というニックネームで親しまれています。この冒頭の狩りの主題を聴くと

秋の澄み切った青空と朝のひんやりした紅葉の野山

が自然に浮かんできます。

この有名な第1楽章だけではなく、他の楽章も秋を感じさせてくれる豊かな楽想にあふれています。

第2楽章モデラート 短いトリオ。中間部の弦のリズミカルな刻みとそれに乗る優雅な音楽は、「昔昔あるところに」という語りかけのようで、少年時代に昔話を聴く時に感じた胸の期待感を連想させてくれます。

第3楽章アダージョ 秋の夕べをイメージさせてくれる美しい音楽です。そこはかとないさびしさとわびしさが混じっています。次の歌を思い浮かべます。

さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ(寂連)

第4楽章アレグロ モーツァルト独特のスピード感のある音楽です。まるで草原を白馬で駆けていくような気持ちよさがあります。また対位法が巧みに生かされていて立体感もあり聴きごたえがあります。思わず「今日は楽しかったね。」という笑みがこぼれそうです。

 モーツァルトはハイドンの弦楽四重奏曲を聴いて感動し、6曲の弦楽四重奏曲を作曲し、ハイドンに献呈しました。このハイドンセットの作曲においては、速筆のモーツァルトが異常に長い時間をかけて推敲に推敲を重ねたと言われています。そのためか、この6曲は曲の内容の充実度という点においてモーツァルトの全作品の中で頂点に立つものではないかと思います。この『狩』だけがニックネームのせいか有名になっていますが、他の5曲も互いに引けを取らないユニークな作品です。

posted by やっちゃばの士 at 13:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 秋のソナタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月02日

イメージクラシック「秋のソナタ」その1

ブラームス 弦楽四重奏曲第2番イ短調

奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき(猿丸大夫 百人一首より)

 秋の山奥の落ち葉を踏むとどんな音が聞こえるでしょうか。きっと枯れた鳥の鳴き声や、遠くから風の音か自動車の音か判別がつかないようなごおっとした響きが聞こえてくるのでしょう。そんな現代の山里にあって、僕はこの古の歌を思い浮かべます。鹿の鳴き声がどのようなものか今はっきりとイメージできませんが、きっとブラームスの弦楽四重奏曲のヴァイオリンのように甲高く物悲しい響きなのだろうと。

 ブラームスの室内音楽は「秋のソナタ」という題名がぴったりきます。中学生の時に新潮文庫の『ブラームス』(三宅幸夫著)を読みましたが、プロローグのタイトルが「秋のソナタ」でした。僕はその時はまだ彼の交響曲や協奏曲などのオーケストラ作品しか知りませんでしたが、この言葉を交響曲からもはっきりとイメージすることができました。その後、室内楽曲やピアノ曲を知り、室内楽こそがまさに「秋のソナタ」の神髄であると感じるようになりました。

 秋のソナタの傑作群の中にあって、秋の野の物悲しい情緒を最も感じさせてくれるのが弦楽四重奏曲第2番です。ブラームスは3曲の弦楽四重奏曲を作曲しましたが、彼の弦楽四重奏曲は弦楽六重奏曲や弦楽五重奏曲、またとても有名なヴァイオリンソナタなどの陰に隠れて目立たない存在になってしまっています。「渋い、暑苦しい」という評価も目立ちますが、第1番はそうであるにしても、第2番は違うと思います。聴き込めば聴き込むほど迫ってくる鹿の鳴き声のような深い物悲しい情緒は他の作曲家の作品では決して味わうことができないものです。ロマン派随一の傑作弦楽四重奏曲と評してもいいのではないでしょうか。






タグ:ブラームス
posted by やっちゃばの士 at 06:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 秋のソナタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。