2012年11月23日

イメージクラシック「夕日」その4

モーツァルト 弦楽四重奏曲第18番イ長調より第3楽章

夕日の差し込む居間で
うつらうつらと夢の中
母が読み聞かせてくれた
果てしなく続く物語

 モーツァルト弦楽四重奏曲第18番の第3楽章のアンダンテでは、いつ果てることもない物語のように、暖炉の様な暖かい音楽が、次々と形を変えて現れては消えていきます。その暖かく回想的な叙情を持つ音楽を聴いていると、幼いころに物語を読んで聞かされた体験を思い出してきます。どこか「夕焼け小焼けの歌」に通じる情緒をこの音楽は持っているように感じます。

 この楽章は変奏曲形式で書かれており、とても長大で、おそらくハイドンセット全6曲の中で一番演奏時間が長い楽章です。変奏曲の持つ回想性とこの長大さが、果てしなく続く夢物語のように感じる原因となっていることは明らかでしょう。モーツァルトは変奏曲の大家で、『キラキラ星変奏曲』が良く知られていますが、その内容の充実ぶりでは、おそらくこの曲と、同じハイドンセットの弦楽四重奏曲第15番ニ短調の第4楽章が双璧ではないでしょうか。

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2011年09月01日

イメージクラシック「夕日」その3

ブラームス 『ピアノのための6つの小品』より第2曲 間奏曲イ長調

夕焼け小焼けの赤とんぼ負われてみたのはいつの日か

 夕暮れ時がちょっぴりさびしい季節になりました。季節の移り変わりとは妙なもので、いつの間にか気付いてみると「季節が変わっていた」と感じることがほとんどなのではないでしょうか。

光陰矢のごとし
 時は待ってくれません。僕は来年40歳になります。人生の半分目なのか、それともあと数年なのか、運命を予測することはできませんが、はっきりとしたことが一つだけあります。それは過去39年間を確かに生きたということ。その中で見たこと、聞いたことは消すことのできない事実であり、今考えていることはすべてその事実から得た考えや思いの延長線上にあるということです。「夕日」のイメージも人それぞれの過去の思い出によって決まるのだと思います。

 冒頭に「夕焼け小焼けの赤とんぼ」の歌を上げましたが、この歌からは「さびしさ」が感じられます。夕焼けや夕日は1日の終わり、多くの人が時の経つ速さと戻ってこない懐かしい思い出に「寂しさ」を感じるのだと思います。

 僕は同様の想いをブラームスの晩年の『ピアノのための6つの小品』の第2曲「間奏曲イ長調」に感じることが出来ます。この曲はA−B−Aの3部構成になっていますが、

Aの部分は1日が終わって夕日を眺めている印象
Bの部分は懐かしい思い出が頭の中をめぐりにめぐる印象


を与えます。特にBの部分はとても感傷的な美しい音楽で、おそらくブラームスのすべてのピアノ独奏曲の中でもっとも美しいのではないかと僕は思います。過去の美しい思い出は決して去ることはないのですが、それでもなんだか自分から離れていくような名残惜しさを感じさせるような音楽です。

懐かしい過去の想い出よさようなら

タグ:ブラームス
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2010年12月06日

イメージクラシック「夕日」その2

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調『悲愴』

浅黄色の西ぞら
鋭く光る三日月
影絵のような山々

 冬の夕日とともに浮かんでくるイメージです。東、南そして北の空が冷たい夜空に覆われていく中、なぜか西の空に温かさを感じる一時です。冬の西ぞらの向うに温かい世界があるかもしれないなどという不思議な期待感を抱かせる力が冬の夕日にはあると僕は思います。

 そういった冬の夕日にぴったりくる音楽が、チャイコフスキー悲愴交響曲の第1楽章の有名な第2主題です。この主題は、チャイコフスキーの数多くある美しいメロディの中で、おそらく最も美しいものではないでしょうか。中学生の時代に悲愴交響曲を初めて聴いたとき、この美しいメロディに感動して何度も何度もこの部分を繰り返して聴いたものです。

 チャイコフスキーはのの悲愴交響曲の初演の9日後に亡くなります。彼が自らの死を意識しながらこの音楽を作ったことは間違いないなく、単純ながら心に沁みこんでくるこの主題はただ美しいというだけではなく、何かが燃え尽きるような余韻を持っています。まるで真っ赤な夕日が沈んだ直後の地平線がどこまでも果てしなく伸びていくように、この余韻は消えることなく広がっていきます。

 チャイコフスキーの作品に登場する美しいメロディは、どちらかというと過去を回想し、懐かしむような楽想を持ったものが多いのですが、この悲愴の第2主題は過去ではなく未来に向かっているような感じがします。そして、この主題はまた現代的で普遍的な響きを持っているのが特徴的です。まさに夕日の向こうにある未来を見つめた音楽です。この交響曲はチャイコフスキーの後期3大交響曲のひとつとしてカテゴライズされていますが、第5番とこの第6番『悲愴』の間には何か断絶した世界があるように思えてなりません。






 


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2010年10月12日

イメージクラシック「夕日」その1

ブラームス 交響曲第2番ニ長調

 秋の夕日は美しい。夕日を思い出させる音楽、僕にとってそれは『赤とんぼ』ではなくブラームス交響曲第2番の第1楽章の冒頭の主題です。D−C#−Dの低弦とホルンの牧歌的な響きは描写音楽以上に描写的で、おそらくクラシックの数多くある傑作の中でこれほどホルンの響きが印象的な曲は他にはないのではないかと思うくらいです。この曲の第1楽章では、主題の展開部や曲の終結部でもホルンが夕暮れ時の情緒を歌います。

 ブラームスはこの曲を南オーストリアのヴェルター湖畔の町ペルチャッハというところで6月から9月にかけて一気に作曲しました。「ヴェルター湖畔の地にはメロディがたくさん飛び交っているので、それを踏みつぶしてしまわないよう、とあなたはいわれることでしょう。」と友人ハンスリックに語っているように、この曲の中には美しく霊感に満ちたパッセージが何個も登場します。ブラームスの4つの交響曲はいずれも個性豊かで傑作ですが、それらの中でインスピレーションの豊かさという点ではこの曲が随一ではないでしょうか。

 僕がこの曲を初めて聴いたのは中学2年生の秋でした。「なんて美しい曲だろう」その時から、僕はブラームスのレコードと彼に関する書籍を集めるようになりました。それからクラシックのいろんな曲を聴いて、「2番は軽い曲だなあ」と敬遠する時期もありましたが、38歳になった今の時点においてはこの曲がブラームスの交響曲の中ではベストです。



 

タグ:ブラームス
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