2011年09月30日

イメージクラシック「夢」その5

モーツァルト 幻想曲二短調

 秋のよく晴れた青空の午前。丘の原っぱに寝そべって青空を見ていると、青空に吸い込まれるようです。透き通った陽の光は暑くなく、ひんやりした風が紅葉した葉っぱを揺らしながら、体の上を吹きぬけていきます。まどろみに負けて僕は静かに目を閉じました。

 モーツァルト幻想曲二短調の冒頭の下降する音階を聴いていると、青空に吸い込まれていくような気分になります。青空のむこうに別世界があって、魂だけがそちらに向かって抜け出していくといった感じでしょうか。

 モーツァルトは幻想曲を2曲残しています。二短調とハ短調。二短調の方は、ハ短調に比べて規模が小さいです。前に書いたハ短調の幻想曲についての記事でも述べましたが、モーツァルトの幻想曲の旋律はこの世のものとは思えない不気味さを持っています。この二短調の異次元の世界に落ちていくような不思議な音楽は、まさしくモーツァルトの音楽です。

ラベル:モーツァルト
posted by やっちゃばの士 at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

イメージクラシック「夢」その4

モーツァルト 幻想曲ハ短調

 この世のものとは思えない音楽。モーツァルトの音楽を形容する時、我々はしばしばこのような表現を使うことがあります。ただこの言葉の意味するところは「この世のものとは思えないほど美しい音楽」ということであり、さらにこのことは我々が「あの世を美しい天上世界」とイメージしていることを物語っています。

 モーツァルトの幻想曲ハ短調は、全く違った意味での「この世のものとは思えない音楽」です。この曲は何度聴いても僕には「不安と神秘が入り混じったあの世の入り口」に入っていく音楽に思えてならないのです。

 不気味な和音で曲は始まり、まるで黄泉の世界にでも落ちていくように、音楽は低く下降していきます。ここの部分は背筋が寒くなるほど不気味で、僕はこの部分を聴くと、いつも、雷雨が来る直前の真黒い雲が低く空を覆っていく情景を想像します。

 音楽は落ちるところまで落ちていくと、静寂が訪れ、やがて懐かしい子守唄のような旋律がどこからともなく聞こえてきます。亡き母の子守唄なのでしょうか。姿は見えないが、歌声だけが聞こえてくるといった雰囲気を持っています。

 やがて音楽は突然驚いたように静寂を破ります。静かに息をひそめていた鳥たちが、人の気配に気がついて、いっせいに飛び立つような時の驚きがここにはあります。驚きながらも、心はときめき何か憧れの対象へ駆けて行くように、懐かしさに満ちた軽やかな音楽となりますが、この軽やかさは長くは続かず、不気味な闇の中に吸い込まれていきます。

モーツァルトはおそらく母の姿を見つけて、喜んで走って行ったのでしょうが、近くまで行ってみると母は闇に吸い込まれてしまったのではないでしょうか。再び、子守唄が響き、不気味なあの世とこの世を結ぶトンネルのようなイメージの音楽に戻ります。最後に、何か名残惜しさを感じさせながら曲は終わります。




ラベル:モーツァルト
posted by やっちゃばの士 at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月18日

イメージクラシック「夢」B

ベルリオーズ 幻想交響曲より第1楽章「夢と情熱」

 「夢」という言葉は「将来の夢」のように、いい意味で使われることが多いですが、「夢」自体には良い、悪いといった方向性はありません。「夢」の意味するところを考えてみると、

@「眠っている時に見る夢」
A「白昼夢」
B「希望や願望としての夢」


の3つがあります。Bは善悪の方向性がありそうに見えますが、願望そのものが善悪の方向性をもたないために、この場合の夢も善悪の方向性を持ちません。従って、心地よいものとして容易に「夢」に近付くと裏切られることになります。

 ベルリオーズの『幻想交響曲』がまさにそんな作品です。@、A、Bの意味での「夢」に「奇妙さ」が加わると「幻想」という概念の言葉が生まれます。したがって、『幻想交響曲』には「願望としての夢」と「叶わない願望の果ての悪夢」の両方が奇妙な物語性を持って描かれています。

 そんな『幻想交響曲』の中で最も「夢見がち」な音楽が展開されるのが第1楽章です。第1楽章には「夢と情熱」というタイトルがついています。主人公が夢の中で、恋人の姿を見つけ激しく恋い焦がれる情景で、期待と不安、安堵と焦燥が入り混じった音楽が色彩豊かなオーケストラによって表現されます。また、序奏つきのソナタ形式をとり、複雑な心情の世界がわかりやすく表現されているのが特徴的です。

 僕が幻想交響曲を初めて聴いたのは中学生の時でした。その魅力的なタイトルに胸を膨らませながら、楽器店で買ったレコードを家に持ち帰って聴きましたが、僕が期待した音楽は第1楽章の中にだけありました。その後何度もこの曲を聴きましたが、僕にはこの第1楽章「夢と情熱」だけが格別の音楽に思います。第3楽章「野の夕べ」、第4楽章「断頭台への行進」もすごい音楽だと思いますが、僕はこの第1楽章「夢と情熱」の余韻にずっと浸っていたいのです

 ベルリオーズは27歳の時、この作品を作曲しましたが、その後この作品を超える傑作を作曲することはできませんでした。僕はこの幻想交響曲のストーリーにベルリオーズの人生を象徴的に見ます。第1楽章「夢と情熱」を絶頂に、その音楽的な魅力は下り坂になっているのではないだろうかと。物語が展開しているように見えるが、実は音楽的な魅力が失われているような気がしてならないのです。この曲が持つ強い物語性、標題性が音楽性を弱めてしまっているのかもしれません。



ラベル:ベルリオーズ
posted by やっちゃばの士 at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

イメージクラシック「夢」A

ドビュッシー 『夢』

 青空に流れていく雲。明るい運河のきらめく波。ビルの窓から見えるこの風景には音がない。ただ景色が時とともに移り変わっていく。次の夏も同じ場所から同じ景色を眺めているのだろうか。いつのまにか思いは風に流れて淡い空気の中に消えていく。

 人は、とりとめもない思いと期待を、毎日幾度もなく抱いて過ごしています。ふと流れていく淡い思い。そんなとりとめもない思いの瞬間を美しく甘い思いにしてくれるのがドビュッシーのピアノの小品『』です。夢見心地をそのまま音楽にしたような短いが印象的な曲です。

 ドビュッシーの作品の中において、この曲は目立たない小品で、ドビュッシー自身も自己のスタイルを確立する前の習作と見なしていたようです。ただ、彼の代表的作品である『前奏曲集』や『練習曲集』などの後にこの曲を聴いた時の清涼剤のような気持ち良さは格別なものがあると思います。



ラベル:ドビュッシー
posted by やっちゃばの士 at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月01日

イメージクラシック「夢」@

スクリャービン  交響曲第3番ハ短調『神聖な詩』より「悦楽」

 音楽というものを視覚やストーリーに置き換えて表現することは大変難しいことです。特に歌曲やオペラのように歌のない音楽を音楽以外で表現することはほとんど不可能と言っていいでしょう。このことは、100人の聴き手がいるならば100通りの全く異なった表現になるということでもあります。

 「」というキーワードもクラシック音楽の様々な曲の中に見出すことができます。実際に「夢」というタイトルを持つ曲から、ただ「夢」のような印象を与えるだけのものまで様々です。ただ「夢」という言葉自体人によっての受け散り方が違うので、後者の場合の範疇は無限に広がることになります。このような事情の中で、あえて「」をイメージさせる曲を考えてみました。


夢のような楽園


 スクリャービンの『神聖な詩』の第2部「悦楽」はまさにこの言葉がぴったりときます。そのあまりにも官能的で波のような音楽はまるで日常のすべての苦しみを癒してくれるような「麻薬的な力」を持っています。


傷ついた体を黄色く包む光
恍惚の波
泉のやさしいせせらぎ
小鳥のやさしいさえずり


究極の癒しの音楽がここにはあります。

 
 ただ時折不気味に響く金管楽器の下降する響きが、何か非現実的で大切なものが崩れ去っていくような予感を与えます。この予感がすべてが夢であるにすぎないということを教えてくれます。

 しばしば「夢」は非現実的な展開をするものです。自分の意志とは反対の方向に「夢」のストーリーが展開していく経験は誰にでもあるでしょう。「悦楽」の音楽はこの夢の感覚に似た世界を持っています。


深い深い夢の世界に落ちていく楽園は同時に崩壊に進む

 金管楽器の鈍重な響きによって「悦楽」音楽は終わりを迎えるのですが、この部分の音楽は「夢から覚めて現実に戻る」瞬間を見事に表します。この最後の部分を聴くと「やっぱりあれは夢だった」という気持ちになると思います。


 スクリャービンは5曲の交響曲を残しましたが、『神聖な詩』の「悦楽」がそのクライマックスではないでしょうか。僕は彼の交響曲の中ではこの曲が一番好きです。

EPSON010.JPG
ルドン 『花の中のオフィーリア』



posted by やっちゃばの士 at 00:33| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。