2012年07月27日

イメージクラシック「夕暮れ」その8

ワーグナー 歌劇『タンホイザー』より第3幕の導入曲

夕闇はちっとも後悔を覆いはしない

 夏の暑い夕暮れは、独特の静けさと孤独さを持っているように思います。遠くで花火が上がり、都心のにぎわいはますます増していこうというのに、僕の座っているベンチのある公園はなんと静かなことだろう。かすかな希望の灯がじりじりと燃えている。

 ワーグナータンホイザーの第3幕への導入曲は、夕暮れ時の静けさと孤独感に満ちた音楽です。罪を犯したタンホイザーはローマ法王の許しを得るためにローマに巡礼の旅に出ますが、エリーザベトは許しを得て帰ってくるタンホイザーを祈りながらずっと待っているといった情景です。罪が許される可能性が低いことが、音楽の孤独さと静けさに強く現れています。

タグ:ワーグナー
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2012年07月21日

イメージクラシック「夕暮れ」その7

ドビュッシー 前奏曲第1巻より第4曲「音と香りは夕暮れの大気に漂う」

居眠りからの目覚め
いつの間にか闇と孤独が世界を覆う
物憂い夏の夕暮れ

 誰もいないキャンパス、ドイツ語学科の研究室で1人僕は課題に向かっていた。誰もいない夏休みの夕暮れの研究室。闇は迫るが、電気をつけることもなく、僕は取り残されたような孤独感と取り残されまいとする緊張感で、ドイツ語の原文をぎこちない日本語で訳したのだった。今も状況は違うが、夕暮れになると同じような思いになることがある。

 ドビュッシー前奏曲第1巻の第4曲「音と香りは夕暮れの大地に漂う」は、夏の夕暮れのもやっとしたけだるさを感じさせてくれる曲です。この標題は詩人ボードレールの詩集『悪の華』のなかにある詩「夕べの調べ」の一節で、曲の題名としてはとても長いと思うのですが、象徴主義的なこの一節をあえてタイトルとすることにドビュッシーのこだわりがあるように思います。

 
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2012年04月11日

イメージクラシック「夕暮れ」その6

ベルリオーズ 交響曲『イタリアのハロルド』より第2楽章「夕べの祈りを歌う巡礼の行進」

眠りを誘う春の夕べ
眠りを起こす肌寒い風

 ぽかぽかとした陽気は夕方になっても続き、桜の匂いとともにいつの間にかうとうととしていましたが、冷たい風が忍び寄ってきて僕を起こそうとします。ちょっと寒いけど目を覚ましたくない、心地よさいつまでも浸りながらずっとそのままうつ伏せていたいという気持ちと共に、このままの状態でいるとよくないという不安な気持ちがますます僕を動けなくします。

 ベルリオーズ交響曲『イタリアのハロルド』は、イギリスの詩人バイロンの詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』の場面を音楽化したもので、独奏ヴィオラの物憂げで甘い響きが印象的です。特に第2楽章「夕べの祈りを歌う巡礼の行進」はヴィオラのアルペジオとホルンとハープが独特の心地よい音楽に酔わせてくれます。

ホルンは春の夕べの眠気を誘い
弦とハープが不気味な響きで不安を煽る

『幻想交響曲』ほど演奏される機会はありませんが、『幻想交響曲』に劣らず、ベルリオーズの魔術のようなオーケストレーションを堪能できる曲だと思います。

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2011年11月18日

イメージクラシック「夕暮れ」その5

ブラームス 弦楽四重奏曲第3番変ロ長調より第2楽章

新古今和歌集に有名な三夕の歌というのがあります。

寂しさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮(寂蓮法師)
心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕暮(西行法師)
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮(藤原定家)

どの歌も日本の秋のわびしさがひしひしと伝わってくる名歌だと思います。秋の夕暮れのさびしさやわびしさに対しては古来より独特の美意識を日本人は抱いてきたのでした。西洋に同じような美意識や歌があるのかどうか僕は詳しく知りませんが、ブラームスの作品の中には秋の夕暮れを感じさせる作品が少なからずあります。

ブラームスの秋の夕暮れを感じさせる室内楽3選

弦楽四重奏曲第2番イ短調の第2楽章アンダンテ
弦楽四重奏曲第3番変ロ長調の第2楽章アンデンテ
弦楽五重奏曲第1番ヘ長調の第2楽章

 この3曲の緩徐楽章は、ブラームスの室内楽の中でも特に秋の夕暮れの情緒を強く感じさせてくれる作品です。この中で、弦楽四重奏曲第2番と弦楽五重奏曲第1番の第2楽章は、器楽的な旋律で始まりますが、弦楽四重奏曲第3番の第2楽章だけは、歌謡的な旋律で始まります。先回秋のソナタのところで、弦楽四重奏曲第3番の第1楽章を取り上げましたが、こちらは器楽的な音楽です。したがって、第1楽章が終わって、歌う第2楽章に入ると、なんだか非常にハイテンションになったように感じます。

 ブラームスはしばしば緩徐楽章の途中で、激情的になることがあるのですが、この曲もそのような部分を持っています。秋の夕暮れの寂しさに感極まったのかもしれません。

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2011年08月27日

イメージクラシック「夕暮れ」その4

フランク 交響曲ニ短調より第2楽章、第3楽章

夏の終わりの夕暮れ
蝉しぐれは静寂を増し
静寂の中を思い出は駆け巡る
浜辺に打ち寄せる波の音
田舎での楽しい体験
あの時も蝉が鳴いていた
せめて蝉の鳴き声だけは続いてほしい

 夏の終わりの夕べのひと時、僕はフランク交響曲ニ短調の第2楽章を聴きたく思います。静かな孤独を感じさせる弦のピチカートに乗って歌い出すイングリッシュホルンの鄙びた響きは、夏の終わりの寂しさに満ちています。イングリッシュホルンの孤独なつぶやきが終わると、夏の楽しい思い出が浮かび上がるように、きらきらと輝くさざ波のような美しい音楽が登場します。

 フランクがこの傑作交響曲を作曲したのは60歳を過ぎてからのこと。僕はこのヘビーな交響曲を聴くたびに、フランクの60年分の想いが濃縮されて詰まっているなあと思います。この交響曲の特徴に、一度登場した主題が別の楽章でも繰り返し現れる循環主題の巧みな使用がありますが、過去の思い出のように繰り返して登場する循環主題の発想は、年をとった作曲家ならではの発想ではないかと考えます。

 第2楽章の主題は最終楽章である第3楽章でも登場し、懐かしい思い出を回想するかのような名残惜しさをもって登場します。ベートーヴェン第9や、ブルックナー第5にも同じような前楽章の主題を回想するシーンがありますが、フランクの音楽はそれらと比べると静的なイメージを持つ回想という言葉では言い表せないものがあるように感じます。

夏の美しい思い出よさようなら

タグ:フランク
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