2013年01月31日

イメージクラシック「壮大・壮麗」その2

ハイドン 交響曲第82番ハ長調『熊』より第1楽章

大都会パリとの出会いが生んだ堂堂とした交響曲

 18世紀のパリはヨーロッパ随一の音楽が盛んな大都会で、特にパリのオーケストラは最も規模が大きく発展していました。そんなパリの豪華なオーケストラに出会って、豪華な交響曲を作曲したのが、同時代に生きたハイドンモーツァルトでした。パリとの出会いは、両者の作品にそれまでにはなかったスケールを与えることになりました。1778年モーツァルトは交響曲第31番ニ長調『パリ』を、ハイドンは遅れること8年後の1786年に『熊』のニックネームを持つ交響曲第82番ハ長調を作曲しました。

 ハイドンは30歳の手前から約30年間、ハンガリーのエステルハージ家に音楽家として仕え、エステルハージ家以外のために曲を作曲することは禁じられていましたが、その名声は次第に高まり、外国から作曲の依頼を受けるようになります。モーツァルトが20歳前半でパリの音楽と接するのとは対照的に、ハイドンがパリの音楽と接したのは50歳を過ぎてからでした。そのせいか、モーツァルトのパリ交響曲は豪華さととともに若さを感じさせるのに対して、ハイドンのパリ交響曲はゴージャスさとともに、がっしりとした風格を感じさせるのが特徴的です。この2曲の間に直接的な関連性があるかどうかは知る由もありませんが、僕はハイドンのこの曲を聴く時、ハイドンはモーツァルトのパリ交響曲を意識していたのではないかと思うことが良くあります。

 堂堂としたこの交響曲の第1楽章の中でも、特に第1主題提示部と展開部は何度聴いても気持ちいい爽快感があります。また、熊のうなり声を連想させる音で始まる第4楽章も大変迫力があります。この曲の持つ堂堂とした安定感は、例えて言うならば「重心の低い音楽」とでも呼ぶべきで、よくスポーツで基本は足腰の強さという言葉を聞きますが、まさに何曲も曲を量産してきた巨匠のなせるべき業だと思います。

 
ラベル:ハイドン
posted by やっちゃばの士 at 22:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 壮大・壮麗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月09日

キーワードクラシック「壮大・壮麗」その1

モーツァルト 交響曲第31番ニ長調『パリ』より第1楽章

パリの空にかかる虹を渡るモーツァルト

 モーツァルト交響曲第31番『パリ』の第1楽章は、とても壮麗壮大な音楽です。その壮麗壮大さは有名な交響曲第41番『ジュピター』を凌ぐと僕は思っています。冒頭の太陽のような堂々とした主題はいかにもモーツアルトらしいインスピレーションに満ちています。

 この曲は1778年、モーツァルトがまだ22歳の時、芸術の都パリに母と一緒に出て就職活動を行っていたころに作曲されました。彼はパリで冷遇を受け、この曲の初演から間もなく彼は最愛の母を亡くし、就職活動も実ることなく故郷のザルツブルクに戻ります。

 そういった環境の中で、このようなスケールの大きい音楽を書いたモーツァルトに、強い気合と並々ならぬ自信を僕は感じます。そのせいか速筆のモーツァルトがこの曲の作曲には時間をかけたようです。


パリ市民をあっと驚かせてやるぞ!



ラベル:モーツァルト
posted by やっちゃばの士 at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 壮大・壮麗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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