2013年02月16日

イメージクラシック「疾走」その5

モーツァルト 交響曲第25番ト短調より第4楽章

この思いをどこにぶつけたらよいのだろうか

 モーツァルト交響曲第25番ト短調は、その第1楽章が映画『アマデウス』のオープニングテーマとして使われ、大変に有名な曲であると同時に、18歳の青年が作曲した、それまで書いていた作品とは全くレベルの異なる突然変異のような記念すべき作品です。有名な第1楽章もいいですが、それ以上に張り詰めた緊張感とスピード感があるのが最終楽章です。

 うつろで悲劇的な主題と緊張感を高める激しいシンコペーションは、まるで悲しみや悔しさをどこにぶつけていいかわからず疾走しているかのような印象を与えます。モーツァルトの個人的な気分が反映されている、あるいはそれとは関係ないなど、この曲をめぐって様々な言及がなされていますが、客観的に見てもその内容の濃さは歴然としています。



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2012年10月02日

イメージクラシック「疾走」その4

ラフマニノフ 交響曲第1番ニ短調より第1楽章

 南方に台風が迫っているためか、東京湾の浅瀬の海面がエメラルドのような不気味な色になっていました。黒い雨雲が近付いてきているようですが、まだ雨は降っていません。緊張に満ちた海を横目に僕は帰路を急ぎました。

 嵐の前の緊張感に満ちた空と海を見ると、ラフマニノフ交響曲第1番の第1楽章の冒頭の不気味なユニゾンを思い浮かべます。この交響曲はラフマニノフらしい繊細さと切迫したデモーニッシュな楽想とが絡みうとても引き締まった作品ですが、ラフマニノフの音楽が持つ特有の美しさよりも、何かおどろおどろしい不気味さが全体を支配しています。最終楽章は、チャイコフスキー第4、第5交響曲のようにどこか空騒ぎめいたフィナーレであるのもちょっと異例な感じがします。

 この交響曲をラフマニノフが作曲したのは彼が22歳の時です。彼はピアノの作曲家、演奏家として有名ですが、この曲の持つシンフォニックな完成された響きを22歳の若さで書くということは、彼が作曲家として並々ならぬ才能があったことを物語っています。ヴィルトーゾでシンフォ二ストと言えば、リストが有名ですが、ラフマニノフはまさにリストと同じタイプの作曲家だと思います。



 
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2012年06月30日

イメージクラシック「疾走」その3

マーラー 交響曲第6番イ短調『悲劇的』より第4楽章

かなしみは疾走して、立ち止まり、また疾走する

 マーラー交響曲第6番の長大な第4楽章を聴くと、上記のような印象を抱きます。ギリシア悲劇のようなその整った音楽は聴く者に独特のカタルシスを与えます。悲劇的なストーリー性を持った音楽ですが、「わかりやすさ」と「甘美さ」が曲全体を大きく支配しています。

 僕はマーラーの交響曲の中では、最も「甘美」な曲ではないかと思っています。「苦悩」や「皮肉」といった要素がほとんど感じられないからです。マーラーは夏の山小屋で、アルマとの幸福な結婚生活中に、この曲を作曲しました。この曲には、カウベルやグロッケンシュピーゲルといった山の牧場を連想させる楽器が効果的に使われています。そういうこともあってか、僕には、上高地の美しい時間が少しずつ失われていくといった「時間の流れ」のようなものが、悲しみの疾走に思えて来るのです。


タグ:マーラー
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2011年11月04日

イメージクラシック「疾走」その2

ハイドン 交響曲第44番ホ短調『かなしみ』より第1楽章

 疾走するかなしみ

 この言葉はモーツァルトのト短調交響曲の代名詞のようになっていますが、僕はモーツァルトの交響曲以上にこの言葉がふさわしいと思うのが、ハイドン交響曲第44番の第1楽章です。物憂い第1主題から非常にテンポの良い第2主題にかけての流れるような展開は、とても鮮やかな印象を与えてくれます。

 この曲はハイドンのいわゆる「シュトルム・ウント・ドラウング(疾風怒濤)期」に作曲されています。ハイドンは交響曲を生涯で104曲残しましたが、短調の作品はわずか9曲で、9曲のうち6曲がこの「シュトルム・ウント・ドラウング期」に書かれています。この時期ハイドンは田舎の貴族エステルハージ家のお抱え楽長の職にあり、まさに音楽のことだけを考える生活を送っていたのでした。僕には、山での修行僧のように、ハイドンがひたすら音楽の表現の可能性を深く追求した期間だったのではないかと思われます。

 音楽が流れるように疾走するので、あまり悲劇的なイメージがありませんが、時折ソロで登場するホルンの物憂い響きが孤独感に満ちていて、ひたすら音楽道を求道するハイドンの孤独な心が表れているように僕には思えます。

タグ:ハイドン
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2011年10月31日

イメージクラシック「疾走」その1

シューマン ピアノソナタ第1番嬰へ短調より第1楽章

馬車を飛ばしてクララのもとへ向かうシューマン

 シューマンピアノソナタ第1番の第1楽章の第1主題は、馬が地面を力強く蹴って進んでいくような快調な音楽です。何か目標に向かって、まっしぐらに進んでいく推進力を感じさせてくれる音楽で、この主題を聴いていると力がみなぎってきます。

 シューマンはこのソナタに『フロレスタンとオイゼビウスによるピアノソナタ』という標題をつけて、後に妻になるクララに捧げました。フロレスタンとオイゼビウスとはシューマンが作った架空の人物です。

フロレスタンは活発で行動的な人物
オイゼビウスは物静かで瞑想的人物

でこの対照的な2人の人物は対照的な2つの性格をもったシューマン自身の分身であると言われています。これによると第1主題はフロレスタン的、夢見るような第2主題はオイゼビウス的ということになります。

 このピアノソナタはシューマン初めてのソナタ形式を持った大作ですが、シューマンが得意とした小品や幻想曲などと比べて評価が低いのが一般的です。シューマン自身も自信がなかったのか、この作品について「生命力に乏しい」などと評しています。構造上には問題があるかもしれませんが、特に第1楽章は人を惹きつける力がある傑作だと思います。シューマンしか書けないロマン性がそこにはあります。

タグ:シューマン
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