2012年04月03日

イメージクラシック「雲」その3

ドビュッシー 『夜想曲』より第1曲「雲」

夕べの舞浜海岸
ピンクに色ずいた雲は
次第に明るさを失い
鋼となって闇に消えていく

 4月になって日も長くなりました。6時になってもまだ外は明るく、ただ肌寒さだけが若干残っていて上着だけは必要だという感じです。解放感と緊張感の入り混じった気持ちで波の音を聴きながら、刻一刻と色合いが変化していく雲を眺めてみました。

 こういう時はやはりドビュッシー『夜想曲』「雲」が似合います。弱音器をつけたひそやかな弦のさざ波の上を木管楽器、金管楽器がちょっと物憂い鄙びた旋律をもって登場しますが、これは夕べの空に流されていく雲のようです。ドビュッシーは黄昏の雲の印象を音楽にしたのでした。

 この曲はとても視覚的な音楽で、視覚と聴覚が密接な関わりあいを持っているということを感じます。僕はこのブログで曲の印象を語っていますが、これこそ音を視覚で表現するようなものです。印象(イメージ)とは外界にあるのではなく、心の中にあるということを再認識させられる音楽です。

ラベル:ドビュッシー
posted by やっちゃばの士 at 13:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月18日

イメージクラシック「雲」その2

ブルックナー 交響曲第9番二短調

雲と天上のシンフォニー

冬の冷たい空の雲を見上げていると、ブルックナー交響曲第9番を想像します。この交響曲は全部で3つの楽章からなりますが、すべての楽章が共通して雲をイメージさせます。そして、この雲は物理的な雲だけではなく、雲の向こうにある天上世界までをイメージさせるという点が特徴的です。

僕はそれぞれの楽章に次のような標題をつけたいと思います。

第1楽章 天上からの召喚と地上への別れ
混沌とした冒頭のトレモロが冬の厚い雲を描き、やがて雲が割れて光が差し込むように、金管楽器が天上からの声を伝えたかと思うと、空が割れてミケランジェロ『最後の審判』のような大伽藍が、壮大な第1主題と共に姿を現す。祈りに満ちた第2主題。演歌のような第3主題は地上への別れの歌

第2楽章 雲の上雲の上のスケルツォ。
冒頭の神秘的な木管と弦のピッチカートは、神秘的な雲の上の印象を表す。突然、天使たちが雲の上を足踏みしながら踊りだす。

第3楽章 天上世界天上を流れる川には、白鳥たちが静かに浮かんでいる。神秘的で虚ろな木管の響きは、白鳥の鳴き声のようである。やがて白鳥にも別れを告げて、天上の旅へと出発する。

 ブルックナーの交響曲で、すべての楽章がこのようなこの世のものとは思えない響きを持っているのは異例であり、同じ後期3大交響曲の中でも、第9番と第8番との間には大きな隔たりがあるように思われます。

 ブルックナーは生涯最後のこの交響曲をに捧げました。通常は、作品が完成すると誰か人に献呈するのが当時の習慣でした。このことから、この交響曲が特別な意味をもった作品であることがわかります。雲と天上世界の響きは僕の勝手なイメージではなく、ブルックナー自身が意図したことなのだと僕は考えています。


ラベル:ブルックナー
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2011年09月07日

イメージクラシック「雲」その1

ブルックナー 交響曲第6番イ長調より第1楽章

ひっそりと虫が鳴く草むらの向こうにはもくもくと膨れ上がる秋の入道雲

 秋の入りの空に広がる入道雲はとても勢いがあります。空で何が起こっているのだろうかと思わずにはいられなくさせるほど巨大です。足元の草むらからは、そんな巨大な雲の存在など全く関係ないというように、ひっそりと秋の虫の鳴き声が聞こえていきます。

 ブルックナー交響曲第6番の第1楽章の冒頭のトレモロ。僕はこのトレモロを秋のひっそりとした草むらの中で鳴く虫の声のように思います。トレモロに乗って、第1主題が低く呟き、秋の野の静けさが漂います。静けさもつかの間、突然全楽器が最強奏で第1主題を奏します。この部分は秋の入道雲のように壮大です。第3主題も壮大で、この交響曲は、小粒ではあるけれども、巨大なものへ進化、あるいはより高い次元へと上昇しようとする力を持っているような気がします。

 ベートーヴェン第9に匹敵する規模と構成を持つ第5交響曲の完成を終えて、おそらくブルックナーは肩の荷が下りたのではないでしょうか。この第6交響曲には気負いのようなものがなく、自然な感じがします。ブルックナーの大作のほとんどが改訂版が存在するのに、この交響曲には改訂版がないことも、自然体に作曲できたことの表れだと思います。

 この交響曲は、第1、第2交響曲と並んで規模の小さい交響曲というくくられ方をすることがありますが、内容は全く違っていて、中期と後期をつなぐ全く独立した位置にカテゴライズされるべき作品です。ブルックナーの楽想が地上から天上に上昇していくまさにその過程的な位置にこの交響曲の存在価値があります。



ラベル:ブルックナー
posted by やっちゃばの士 at 18:15| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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