2012年10月20日

キーワードクラシック「宮沢賢治」その3

ワーグナー 楽劇4部作『ニーンベルングの指輪』第1部『ラインの黄金』より「ラインの川底」

二匹の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳ねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い
泡が流れていきます。
(宮沢賢治『やまなし』より)

 ワーグナー楽劇『ラインの黄金』の冒頭のライン川底の音楽を聴くと、宮沢賢治童話『やまなし』の冒頭の光景をいつも連想します。ホルンの淡い響きは川底に差し込む日の光を、弦楽器のうねりは波の動きを連想させ、単純な旋律を繰り返しながら、クレッシェンドしていきます。だんだん川底深くに下りていくようで、川底に到達したところで反復は止まり、川底に済むラインの乙女たちの明るい歌声が登場します。

 宮沢賢治の童話とワーグナーというと、何とも釣り合わない感じがしますが、明るさと不気味さが共存する川底の光景に関しては何か共鳴する世界があるのではないかと僕は感じています。

ラベル:ワーグナー
posted by やっちゃばの士 at 23:10| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮沢賢治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

キーワードクラシック「宮沢賢治」その2

チャイコフスキー 交響曲第4番へ短調より第4楽章

 「この作曲者は実にあきれたことをやるじゃないか。」蓄音器のラッパの中に頭を突っ込むようにしながら、旋律の流れにつれて首を動かしたり手を振ったり、踊りはねたりした兄が今も見えるようである。(宮沢清六『兄のトランク』より)

 チャイコフスキー交響曲第4番の第4楽章を聴いた宮沢賢治の反応です。僕はこの文章を読んで、先ず「なぜ第4楽章なんだろう」と感じたものです。次に「賢治が聴いたのは第4楽章だけなのではないだろうか」という思いがわいてきました。賢治の無邪気な反応は、この曲のもつどんちゃん騒ぎ的な曲想を表面的にしかとらえていないと思ったからです。

 交響曲第4番は、作曲者がそれぞれの楽章に「運命に翻弄される作曲者自身の思い」を重ね合わせた標題的なストーリーを持った作品で、第1楽章から聴かなければ、第4楽章に込められた作曲者の真の思いは分かりません。第4楽章は、「悲観的に自らの運命を嘆いていてもしようがない。人生楽しいこともあるものさ。さあ歌え、踊れ、生を楽しもう。」といった標題を持っています。

 僕は「空騒ぎ」のようなこの楽章が昔から好きではなかったのですが、賢治の件もあり改めて何度も聴いてみるようになりました。そうすると以前には感じられなかった面白さのようなものが感じられるようになりました。童話の世界で自らの思いを表現した賢治には、メルヘンチックな音楽を得意としたチャイコフスキーの音楽に共鳴する素地があったのではないか。だからこそメルヘンからは程遠いこの交響曲の第4楽章に賢治は大いに共鳴したのではないかと僕は思うようになりました。

posted by やっちゃばの士 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮沢賢治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

キーワードクラシック「宮沢賢治」その1

ドヴォルザーク 交響曲第9番ホ短調『新世界より』

 そしてまったくその振子の音のたえまを遠くの遠くの野原のはてから、かすかなかすかな旋律が糸のように流れて来るのでした。「新世界交響楽だわ。」姉がひとりごとのようにこっちを見ながらそっと云いました。全くもう車の中ではあの黒服の丈高い青年も誰もみんなやさしい夢を見ているのでした。(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』9.ジョバンニの切符より)

新世界交響楽」とはドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』のことです。新世界交響曲は全4楽章からなる大作なので、賢治はいったいこの交響曲のどこの部分をイメージしてこの場面を書いたのだろうかと僕は想像をめぐらせます。実際この場面からは「静けさ」が伝わってくるので、おそらく第1楽章の序奏か、第2楽章の有名な主題ではないかと思われます。

第1楽章の序奏は懐かしい世界を喚起する神秘的な音楽
第2楽章はどこか遠くの世界で聴いたような懐かしさに満ちた歌


なのでどっちでもいいのですが、僕は第1楽章の序奏の方が好きなのでそっちであってほしいなと思います。ただ、童話に登場させるということは、誰でも分かる曲であったほうがいいと考えると、第2楽章の有名な旋律の方がふさわしいかとも思います。

 物語では、この後もう一度「新世界交響楽」が登場します。

 そうそうここはコロラドの高原じゃなかったろうか、ジョバンニは思わずそう思いました。<中略>新世界交響楽はいよいよはっきり地平線のはてから湧きそのまっ黒な野原のなかを一人のインディアンが白い鳥の羽を頭につけたくさんの石を腕と胸にかざり小さな弓に矢をつかえて一目散に汽車を追って来るのでした。「あら、インディアンですよ。インディアンですよ。ごらんなさい。」黒服の青年も目を覚ましました。ジョバンニもカムパネルラも立ち上がりました。(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』9.ジョバンニの切符より)

 先ほどの「静けさ」が破られ、情景はにわかに騒がしくなります。この場面では、第1楽章の第1主題から第2主題へと流れるように続く民謡風な音楽をイメージします。そのように考えると、僕の思うように野原のはてから響いてきたのは第1楽章の序奏なのかもしれません。

 僕はインディアンをこの場面で登場させた賢治にちょっと唐突な感じを抱きます。銀河鉄道の旅はジョバンニの夢の中での出来事だから、場面が意味もなく転換するのは当然と言えば当然ですが気になります。

 賢治はクラシック音楽のレコードをとても愛していました。岩手の片田舎でクラシックのレコードが異常に売れるので、その片田舎にあるレコード屋さんがポリドールから表彰を受けたそうですが、そのレコード屋さんでクラシックのレコードを片っ端から買っていたのが賢治でした。
 
 このエピソードから、賢治はこの物語の中に「新世界交響曲」を登場させたくて仕方なかったのではないかと思うのです。おそらく数多くあるクラシックの曲の中で、とりわけこの曲を気に入っていたのではないだろうかと僕は想像します。賢治の頭の中では、第1楽章も第2楽章も一緒に重層的に響いていたのではないでしょうか。

posted by やっちゃばの士 at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮沢賢治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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