2012年03月17日

キーワードクラシック「かなしみ」その4

チャイコフスキー バレエ『白鳥の湖』より序奏

悲しみの海
おだやかな日差しが
うらめしい

 昨年の今頃は、地震の被害で日本中が苦しんでいました。一年たって穏やかな東京湾を眺めていると、昨年のかなしみが波に乗って伝わってきます。あれから多くの人たちが「がんばろう」と希望の歌やメッセージを寄せました。しかし、失ったものは二度と戻ってこないという現実を消し去ることはできません。いっそのこと希望の歌を歌うよりも、思いっきり悲しみたいというのが素直な気持ちなのではないでしょうか。

 なみなみと冷たい海水を湛えた運河を眺めながら、『白鳥の湖』の冒頭の序奏の悲しげなオーボエの旋律を思い浮かべました。『白鳥の湖』は魔法使いによって白鳥の姿に変えられたオデット姫とそれを助けようとするジークフリート王子の物語で、最後は魔法使いに騙されて命を失ってしまうという悲劇です。悲しげなオーボエの旋律の後、音楽は次第にスピードを上げオーケストラが激しい葛藤を描きます。この部分は、あるいは魔法の力愛の力が激しくぶつかり合っているようでとても充実した音楽です。やがて悲しみの旋律が運命のように響き渡りバレエの第1幕が始まります。

 この序奏はバレエ組曲に含まれていないため、あまり有名ではないかもしれませんが、組曲に入ってもおかしくない優れた音楽です。また、このバレエの音楽はすべてインスピレーションに満ちていて、透明感のある美しい抒情にあふれています。穏やかな海に僕はそっとこの音楽を捧げたいと思いました。

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2011年11月17日

キーワードクラシック「かなしみ」その3

モーツァルト 弦楽五重奏曲第4番ト短調より第1楽章

 言葉の力は音楽の力をより一層強くする

 モーツァルト弦楽五重奏曲第4番ト短調小林秀雄が評論『モオツァルト』で「悲しみは疾走する」と評したまさにその作品です。この言葉は、「モーツァルトの短調作品には特別な深い悲しみがある」というイメージを日本の知識人の間に広めました。彼の言葉の影響力の功罪は別にしても、この作品が与える深い悲しみの印象は誰しも否定することはできないと思います。

 かなしみが広がる五重奏曲

 この曲の第1楽章はとても印象的です。特に冒頭から続く弦の小刻みな和音の動きと、ヴァイオリン、ヴィオラが波のように続けて同じ旋律を追いかける部分は、まさに「疾走する」という表現がぴったりです。この悲しみの波の広がりは弦楽四重奏曲にヴィオラが1本加わった弦楽五重奏ならではの効果です。

 同じ時期に作曲された弦楽五重奏曲第3番ハ長調はこの作品と対になる作品で、第4番と同じように冒頭から小刻みな和音が続きます。こちらは、とても軽快で、モーツァルトが自由自在に和音を操作して楽しんでいるといったような印象の天国的に明快な曲です。それだけに対になる第4番の悲しみが際立って目立つのかもしれません。


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2011年09月04日

キーワードクラシック「かなしみ」その2

モーツァルト ピアノ四重奏曲第1番ト短調より第1楽章

涙の湖面をゆらゆらと漕いでいく一艘の小舟

 ほとんど波のない午後の水面には、明るい日差しが照りかえし、さわやかな風が木々の緑を揺らしているというのに、この静寂はどういうことだろう。ただ波に身を任せるままにかなしみは流れていく。

 モーツァルトピアノ四重奏曲第1番ト短調の第1楽章は、モーツァルトの短調作品の中でも、飛びぬけて深い悲しみを湛えた名曲です。内容もとても充実していて、聴く人に、「モーツァルトは気合を入れて作曲したのだなあ」という気持にさせる迫力があると思います。

 曲の冒頭の運命の動機のような力強い第1主題が印象的ですが、それ以上に印象的なのが、主題展開部です。静寂の中を、先ずはピアノのアラベスクが切なく歌い、それに弦のアラベスクが続きます。両者のアラベスクは巧みに交差しながら、嗚咽へと変わっていきます。この部分は、

かなしみの涙の海に揺れるボート

のようなせつなさに満ちていて、かなしみが募ってきます。

 この楽章に続く、第2楽章、第3楽章は長調で、この第1楽章だけがものすごい悲しみに満ちているので、「第1楽章のあの悲しみはどこへ行ってしまったのだろう」とちょっと違和感を感じてしまいます。実は、この曲の後に続けて作曲されたピアノ四重奏曲第2番変ホ長調の第1楽章展開部に第1番1楽章冒頭の運命の動機によく似た音楽が登場します。僕はこの第2番の第1楽章を「モーツァルトの悲しみは解決してなかったんだなあ」という思いを持ちながらいつも聴いています。この2曲はセットで聴くべき曲であると思っています。





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2011年07月27日

キーワードクラシック「かなしみ」その1

モーツァルト ピアノソナタ第8番イ短調より第1楽章アレグロ・マエストーソ

たんたんと疾走するかなしみ

疾走するかなしみ」という言葉は、モーツァルトの短調の曲の特徴を表す言葉としてあまりにも有名です。モーツァルトの曲は長調の明るいものが多いだけに、ギャップのある短調の曲に何か特別なものを感じてしまうのは致し方のないことでしょうか。実際には、モーツァルトの短調の作品はさまざまな異なる特徴を持っています。

 さて、そのようなモーツァルトの短調作品の中にあって、「疾走するかなしみ」のイメージがぴったりと当てはまると思われるのが、ピアノソナタ第8番イ短調の第1楽章です。疾走とは全力で走ることを意味しますが、僕はさらに「たんたんと」という副詞をつけたいと思います。

 曲はとてもテンポの速い第1主題で始まり、16分音符の副旋律がこれに絡みます。この16分音符の副旋律は曲の最初から最後まで休むことなく続くので、第1楽章を最後まで聞くと、曲の最初から最後まで

全力で駆け抜けた

ような感覚を抱きます。深刻に落ち込むような箇所はなく、かなしみを抱えながらも、立ち止まるわけにはいかず、ただひたすら前に向かって走るといった感じです。16分音符のせわしない動きは

一生懸命飛ぼうとする雛鳥の羽ばたき

のようです。何か必死にこらえているものがあるように思えてなりません。


 この曲が作曲されたのは1778年、モーツアルト22歳の時。就職活動のため母とともにパリへ向かいますが、職は見つからず、母も亡くしてしまいます。この不幸な体験がこの曲には反映されていると言われています。一方、このころからモーツァルトの音楽は飛躍的に進化し、内容の充実した作品が登場するようになります。

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