2012年01月24日

キーワードクラシック「宮沢賢治」その2

チャイコフスキー 交響曲第4番へ短調より第4楽章

 「この作曲者は実にあきれたことをやるじゃないか。」蓄音器のラッパの中に頭を突っ込むようにしながら、旋律の流れにつれて首を動かしたり手を振ったり、踊りはねたりした兄が今も見えるようである。(宮沢清六『兄のトランク』より)

 チャイコフスキー交響曲第4番の第4楽章を聴いた宮沢賢治の反応です。僕はこの文章を読んで、先ず「なぜ第4楽章なんだろう」と感じたものです。次に「賢治が聴いたのは第4楽章だけなのではないだろうか」という思いがわいてきました。賢治の無邪気な反応は、この曲のもつどんちゃん騒ぎ的な曲想を表面的にしかとらえていないと思ったからです。

 交響曲第4番は、作曲者がそれぞれの楽章に「運命に翻弄される作曲者自身の思い」を重ね合わせた標題的なストーリーを持った作品で、第1楽章から聴かなければ、第4楽章に込められた作曲者の真の思いは分かりません。第4楽章は、「悲観的に自らの運命を嘆いていてもしようがない。人生楽しいこともあるものさ。さあ歌え、踊れ、生を楽しもう。」といった標題を持っています。

 僕は「空騒ぎ」のようなこの楽章が昔から好きではなかったのですが、賢治の件もあり改めて何度も聴いてみるようになりました。そうすると以前には感じられなかった面白さのようなものが感じられるようになりました。童話の世界で自らの思いを表現した賢治には、メルヘンチックな音楽を得意としたチャイコフスキーの音楽に共鳴する素地があったのではないか。だからこそメルヘンからは程遠いこの交響曲の第4楽章に賢治は大いに共鳴したのではないかと僕は思うようになりました。

posted by やっちゃばの士 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 宮沢賢治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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