2010年12月19日

イメージクラシック「冬」その1

チャイコフスキー 交響曲第4番へ短調

 いつの間にか、寒さが心と体に応える季節になりました。僕は晩秋と同様上着はパーカーのみという薄着をしていましたが、さすがにきつくなってきました。


冬将軍来たり。さあかかって来い。

 冬は人を身構えさせます。緊張させます。逆に夏は人の心を開放し、弛緩させます。僕はこの季節感が人の美的感覚や考え方に大きな影響を与えるものだと考えます。スペインの作曲家とフィンランドの作曲家の音楽はまるで違うように、音楽についても生まれ育った気候、風土というのは作曲家の心の世界に決定的な影響を与えるものです。そう考えると、どこで生まれ、どのような環境で育ったかというのは人を考える上で非常に重要なファクターだと僕は思います。

 チャイコフスキー交響曲第4番へ短調は、まさにロシアの厳しく荒々しい冬と作曲家に降りかかってくる過酷な運命が完全にオーバーラップした、とても個性的で強いメッセージを持った作品です。この曲の第1楽章冒頭のホルンとファゴットによるファンファーレは、厳しさと過酷さと強靭さに満ちたとても印象深い音楽です。このファンファーレはこの曲のいたるところで登場し、この曲の悲劇性と鋭角性をこれでもかと強める効果を発揮しています。


 金管楽器の咆哮によるファンファーレで始まる交響曲は多くなく、有名なものではこの曲とともにマーラー交響曲第5番があるのみです。ファンファーレはもともと式典や軍隊のために演奏される音楽ですが、この2つの交響曲では軍隊のイメージから戦争へ、さらに運命との戦いに意味が転じて使われています。この2つの交響曲は、各々の作曲家の交響曲の中で、最も深刻で、血を流すような痛みを感じる曲として存在しています。僕はこのブログの中で何度かチャイコフスキーとマーラーの美的感覚が似ていることを指摘してきましたが、この2曲は最もこのことを象徴的に表している例のひとつではないでしょうか。

 長大で充実した第1楽章の後、寒い冬の夜にマッチを擦って寒さをしのぐ物語を思わせる第2楽章、マッチが灯す明かりの戯れのような第3楽章、夢もプライドも捨ててパーティーに興じる第4楽章と続きます。クリスマスを前にこの曲を聴くと、なぜだか楽しいクリスマスから見放された若者の姿が浮かんできます。

現世への別れの想いをこめた悲愴交響曲と違って、第4交響曲には運命に翻弄されながらも前向きに生きようとする作曲者の意思が感じられます。この交響曲の作曲の年より、チャイコフスキーは大富豪フォン・メック夫人から作曲に対する惜しみない支援金を得るようになり、作曲家としては何不自由なく思う存分作曲に取り組める恵まれた環境を手に入れます。このような事情があるためか、僕はこの曲には、ぎらぎらした欲望と紙一重の作曲家としての野心のようなものがあるようにも思います。



 
posted by やっちゃばの士 at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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